生きてゐるしるしに新茶おくるとか 虚子
昭和十八年六月十七日、「玉藻五句集(第七十六回)」。同日付に、「簡単に新茶送ると便りかな」もある。
誰からであろうか、新茶を送りますよ、といった簡単な葉書が届いて、ちょっと待っているとはたして新茶が届いた。毎年この季節になると、簡単な言葉を添えて、新茶を送ってくれる友がいる。お互い齢を重ねているが、まだまだ元気。葉書には「まだ生きていますよ」などと、軽い冗談も書かれている。そんな付き合いの友への挨拶の句であろう。
通信と流通が極限まで発達した感のある現代では、携帯電話でいつどこにいても瞬時に電子メールが飛び交い、今日コンビニエンスストアに持ち込んだ荷物が明日には日本全国津々浦々に到着する。しかし、私のような若輩者ですら小さい頃には(といってももう三十年前!)、離れて暮らす祖父母から「小包を送ったから」などという電話があってから、「お爺ちゃんのりんごはいつ届くのだろう」などと、首を長くして待っていたことがあった。いつ届くという確証と便利さがないが故に、却って受け取った時の喜びがあり、送り手の気持ちが通じたのではないか。この句を鑑賞して、そのようなことを思い返したのだった。
一年間続いたこの稿もこれでお終い。到底、愛詠の句について記す、ということではなく、毎月の原稿締め切りに間に合わせるために、虚子「六百句」をひっくり返して対象句を選ぶことの繰り返しだったが、そうでもしないと、中々虚子の句をじっくり読む機会などないもの。大変勉強になった。