カテゴリ:虚子六百句( 12 )

虚子「六百句」から。

生きてゐるしるしに新茶おくるとか 虚子

昭和十八年六月十七日、「玉藻五句集(第七十六回)」。同日付に、「簡単に新茶送ると便りかな」もある。
誰からであろうか、新茶を送りますよ、といった簡単な葉書が届いて、ちょっと待っているとはたして新茶が届いた。毎年この季節になると、簡単な言葉を添えて、新茶を送ってくれる友がいる。お互い齢を重ねているが、まだまだ元気。葉書には「まだ生きていますよ」などと、軽い冗談も書かれている。そんな付き合いの友への挨拶の句であろう。
通信と流通が極限まで発達した感のある現代では、携帯電話でいつどこにいても瞬時に電子メールが飛び交い、今日コンビニエンスストアに持ち込んだ荷物が明日には日本全国津々浦々に到着する。しかし、私のような若輩者ですら小さい頃には(といってももう三十年前!)、離れて暮らす祖父母から「小包を送ったから」などという電話があってから、「お爺ちゃんのりんごはいつ届くのだろう」などと、首を長くして待っていたことがあった。いつ届くという確証と便利さがないが故に、却って受け取った時の喜びがあり、送り手の気持ちが通じたのではないか。この句を鑑賞して、そのようなことを思い返したのだった。


一年間続いたこの稿もこれでお終い。到底、愛詠の句について記す、ということではなく、毎月の原稿締め切りに間に合わせるために、虚子「六百句」をひっくり返して対象句を選ぶことの繰り返しだったが、そうでもしないと、中々虚子の句をじっくり読む機会などないもの。大変勉強になった。
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by jagannaath | 2006-06-13 00:40 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

石段を登り漁村の寺涼し 虚子

昭和十六年五月二十三日、「鎌倉俳句会。小坪、小坪寺」。
漁村というもの、海に面しているのは当然だが、日本のそれは海と山や丘との境目の、ごく狭い一帯にあることが多い。船や漁具の手入れをしたり干物を干している浜は広々としているが、少し行くと、坂がちで迷路のような路地の一帯が始まり、そこに軒を触れ合わせんばかりに漁師の家々が密集している。
初夏の日差しの下、石段を登って、小さな漁村の寺までたどり着いた。一息入れると、風がひとしきり吹いて、束の間の涼しさをもたらす。境内には漁師が奉納した夥しい数の石仏や供養塔などが見える。石段から見下ろすと、きらきらした家々の甍が見え、その向こうには青い海原が見える。鑑賞としては、石段が高ければ高いほど、この句の世界は広がるような気がする。
同日の句に「戻り漕ぐ船を手招ぐ人跣足」、「干魚の上を鳶舞ふ浜暑し」がある。掲出句を含め、いずれも往時の初夏の小坪漁港ののんびりとした情景を絵葉書のように切り取った句である。

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by jagannaath | 2006-05-28 00:24 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

暮れければ灯(ともし)を向けぬ家桜 虚子

昭和十八年四月十二日、「望月龍、林周平招宴。木挽町、灘万」。
桜の木というのは、一年を通じてみると、盛んに落ちる蘂、次から次へとつく毛虫の類、そしていくら掃いても尽きることのない落ち葉と、手間のかかるものだが、これらはすべて花の季節に報われる。庭に桜の木を持つ家では、花の季節に客迎をすることが多いのではないか。例え公園の桜並木のように立派でなくとも花は桜木、一家の誇りなのだ。
客を迎え、先ずは午後の日の下で咲き誇る桜を愛でつつ酒肴と会話を楽しむうちに、気がつくと外は暮れてしまった。ではそろそろお暇を、と腰を上げようとする客を押しとどめ、ちょっと趣向があって、と予てから用意してあった灯りを灯すと、夕暮れの中に桜が浮かび上がって、客からもほぅという声が上がる。家の中の灯しを消してみることもあるだろう。通りがかりの人も、思わぬお相伴に預かって歩を留めているかも知れない。
この頃木挽町のなだ万には武原はんがいたのではなかろうか。そこに桜の木があったのかどうか知る由もないが、掲出句は、花の季節の主客の遊び心と客迎の心遣いを詠んだものだろう。

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by jagannaath | 2006-04-25 22:48 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

書(ふみ)読むは無為の一つや置炬燵 虚子

昭和二十年二月十日。「即事。」
今月の対象句を選ぼうと「六百句」を繰っていたら、そもそも二月の句が少ない。一々数えてみたわけではないが、例えば「五句集」を母集団として月別に虚子の作句数を数えてみれば、二月が一番少ないのではないだろうか。虚子編「新歳時記」でも、二月の季題は少ない。
松山生まれで鎌倉在住だった虚子にとっては、寒さは大敵だったのだろうが、何の因果か疎開地は信州小諸で、厳しい寒さに晒されることとなった。「五句集」には炬燵の句が十三句所収されているが、初出は「必ずしも小諸の炬燵悪しからず」(昭和二十年)であり、それまであまり使うことの無かった炬燵との接点が小諸に疎開してから増えた、ということではないか。小諸時代には、「大炬燵当たれと請じくれにけり」「炬燵出ずもてなす心ありながら」などもある。
掲出句であるが、「炬燵にもあだには時を過ごすまじ」「句を玉と暖めてをる炬燵かな」と比べてみると面白い。また、どのような書物を読んでいたのか、読みながらついうとうとしてしまったのではないか、などと想像を膨らませてみるのも面白い。

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by jagannaath | 2006-04-01 23:41 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

土塊を一つ動かし物芽出づ 虚子

昭和十九年三月十三日、「笹鳴会。御茶ノ水、日本出版文化倶楽部」。「六百句」には、他に「風折の烏帽子のごときもの芽あり」(昭和十七年)もある。
丁度、ベランダのプランタに蒔いた蚕豆が芽を出し始めたところなので、この句を採り上げるにあたり、じっくり観察してきた。すると正に、表面の土を押し上げ、薄緑色の芽が外界に出てこようとするところであった。土中にまかれた種が芽を出し、もともとは大地(我が家の場合はプランタだが)の表面を成していた一部分を押し上げて「土塊」に変えているという感じを受けた。暗い土の色と、鮮やかでいて且つ蔵する力を表したような薄緑の芽の色のコントラストも美しい。
土塊がそこにあったのではなく、ものの芽が土塊を作り出したのだ。掲出句は嘱目句ではないかもしれないが、虚子の「季題の引出し」にしかと収められていたものだろう。
虚子の物芽の句では、「新歳時記」にも収められている「ものの芽のあらはれ出でし大事かな」(昭和二年)がよく採り上げられるものと思うが、ちょっと俗っぽい感じもする。ものの芽の有り様を写生したこれら二句と併せ読んで改めて「大事かな」の句が活きてきた。

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by jagannaath | 2006-04-01 23:41 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

凍てきびしされども空に冬日厳 虚子

昭和二十年一月四日。「毎日新聞より暦の句を徴されて。」とある。
虚子にとって初めての小諸の冬、さぞ寒かったのだろう。しかし、この句が新聞に求められ公表を前提としたものであることを考えると、「凍てきびし」というのは、時局のことをも指しているのではなかろうか。
資材不足から、ホトトギスや玉藻の出版体制も大きく影響を受けていた。あと数ヶ月もすれば、東京大空襲、沖縄戦など、太平洋戦争は一気に終局に向かっていく。新聞の読者はこの句を如何に解釈したか。多くの読者は「されども空に冬日厳」を、厳しい状況の中にも希望はある、という風に捉えたのではなかろうか。もしかしたら、新聞社からの依頼も言外にそのような意味を含めて欲しい、ということだったかもしれない。
しかし、虚子にとって冬日は「爛々と光つてゐる恩愛の塊」(「縁側散歩」)なのだ。「凍て厳しい空気、厳しい時局の中にも、恩愛の塊たる冬日は相変わらず大きくそこにある。お天道様は有難い。」ということなのだろう。戦争について「俳句は何の影響も受けなかつた。」とした虚子らしく、時局を意識しつつ、悪く言えば惚けた、逆の言い方をすれば、常に「月日の運行花の開落鳥の去来」と共にあったことを表す一句ではないか。

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by jagannaath | 2006-04-01 23:40 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

鳰の頸伸びしと見しが潜りけり 虚子

昭和十六年十二月十一日。「草樹会。丸之内倶楽部別室。」とある。カイツブリは皇居のお濠で見たものか。
家の近くの公園に時々行って水鳥を眺めるのが好きだ。水鳥のなかで、カイツブリはオシドリのような派手さもなく、鯉を押しのけて餌を採りにくるマガモのようなずうずうしさもない。そもそも地味な色合いで、身体が小さい。水鳥の群れの中には必ずいるのだが、カイツブリだけで群れることはないので、ちょっと探さなければいけない。そして見つけたと思うと、くるっと水に潜ってしまい、長い潜水時間の後、見当も付かないところに浮上してくる。初夏には、どこに浮上するのか分からない親を探して雛が心細げに鳴いているのを見かけることもある。水面下で何を狙っているのか、派手な水鳥のなかで、なんとも職人っぽい感じで気になる。公園の池ではいつもカイツブリを目で追ってしまう。
掲出句は、そのカイツブリの潜りの一刹那を捉えた。カイツブリがふっと頸を伸ばした瞬間くるっと潜ってしまった、今度はどこに出てくるのだろう、と見ている様が良く分かる。主語が二つ。見たのは作者、潜ったのは鳰だ。カイツブリもフリーダイビングの選手のように、長い潜水に備え頸を伸ばして大きく息を吸い込むのだろうか。カイツブリの様態をじっと観察した一句である。

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by jagannaath | 2005-12-18 23:35 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

寒からん山廬の我を訪ふ人は 虚子

昭和二十年十一月。「小諸山廬に素十、杞陽、春泥、芙蓉落合ふ。」とある。
同地での二度目の冬を迎えた虚子を素十、杞陽らが訪れた際の句である。終戦から三ヶ月後の交通状況がどのようなものであったか、私には想像がつかないが、新潟や東京から小諸まで行くのは大変な苦労があったのではないか。そのように虚子を慕って遠路遥々小諸までやってくる客への思いやりの句である。昭和十九年十一月には「我が寒さ訪ひつどひ来る志」という句もある。
掲出句は、自分にとっては二度目の冬であり、小諸の寒さには慣れてきたが、遠来来る人には山の冬はひときわ寒いことでしょう、ということ。とはいえ、同日、「炬燵出ずもてなす心ありながら」がある。師が親しい弟子をもてなす際のうちくだけた様子をありのままに詠んだものだが、これなど、実は寒さに一番弱かったのは虚子なのではないか、などと勘ぐりたくもなる。
同日には、「句も作り浮世話もして炬燵」「杞陽素十に素顔のことを爐話に」などがある。「句を」の形もあるようだが、「句もつくり」となっているところが、「初句会浮世話をするよりも」と比べると遊び心が表れているような気がする。久しぶりに弟子が揃ったことを素直に喜んび感謝している虚子の気持ちであろう。

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by jagannaath | 2005-12-18 23:34 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

つぎ/\に廻り出でたる木の実独楽 虚子

昭和十七年十月。「立春会。鎌倉大仏裏。藤波別荘。」
子供の頃、拾ってきた色々な木の実に穴をあけて、ヒゴとか、爪楊枝を挿して独楽をつくったことがあるが、自然のまま、色々な形の木の実を使うので、軸の挿し方、バランスのとり方など、結構難しいものだった。
子供達が何人か集まって、拾ってきた色々な木の実で独楽を作り始めた。大人から教わりながら、作っては回し、回しては直し、とわいわいやりながら、試行錯誤を繰り返しているうちに、いくつもの、様々な形の独楽が出来あがった。さあ、それを回し比べしてみようということになって、みんなの独楽が廻り始めた。まっすぐ回るものも、ふらふらと傾きながらかろうじて回っているものもある。皆、誰の独楽が勝つか、どきどきしながら見ている。そういった景ではないか。「つぎ/\に」ということから、卓袱台ほどの、それほど広くないところで回し比べをやっていることも分かる。傍らには、まだ独楽になっていない木の実が沢山あるのだろう。
「木の実独楽」自体、遊び心を誘う季題なので、虚子自身が戯れに独楽を作ってみたのではないかとも想像してみたが、やはり、子供が遊んでいる姿のほうが、季題としての木の実独楽が生き生きと活躍するのである。

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by jagannaath | 2005-11-03 00:35 | 虚子六百句

虚子「六百句」から。

鈴虫を聴く庭下駄の揃へあり 虚子

昭和十六年九月。「二百二十日会。木挽町、田中家。」。
「聴く」は連体形で庭下駄にかかっているが。勿論、庭下駄が鈴虫を聴くわけではない。客をもてなすために、庭に鈴虫を放ち、客が庭に出て鈴虫の音をより近く楽しめるように、下駄が揃えてある、ということだろう。決して大きな庭ではなく、坪庭なのだろう(冬には石蕗の花などが咲きそうな)。もともとそれほど明るい庭ではないが、まだ暮れきってはおらず、明るさが残っている上に、主たる客は来ていないのであろう。亭主の心遣いと客を迎える気持ちをきれいに揃えられた下駄に見たのではないだろうか。今はただ揃え置かれている下駄が、ゆくゆくは客と同一化し、鈴虫の音を楽しむわけである。虚子自身が主たる客で、揃えられた下駄へと案内されて、心遣いに謝しているのかもしれない。
「田中家」が「田中さんの家」ではないことは明らかだが、では何だったのか、木挽町のどの辺にあったのか、いずれも良く分からない。大通りから一本入ったところにある、料亭か茶屋だったのではないか。おそらくは、新橋演舞場の南辺りの、今もとても敷居の高い料亭がいくつかある一角にあったものと思われる。街の中の別世界、またその中に設えられた鈴虫の庭を詠んだ句である。

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by jagannaath | 2005-09-10 00:02 | 虚子六百句